コーヒーっていつから飲まれるようになったの?
どこの国に起源があるの?
とてもとても興味のあるところです。
人類がコーヒーノキを発見したのは6世紀ごろかな、
と言われているそうです。
エチオピアのことでした。
でも、このころのことはよくわかっていないようで、
伝説だけが伝わっているようです。
その後、イエメンに伝えられ、イスラム教徒の中でしだいに広まっていったようです。
コーヒーの起源としては、有名な伝説が3つ伝わっていますのでご紹介いたしますね。
山羊飼いの少年カルディの伝説(エチオピア)
第1話めは、6~9世紀のエチオピア・アビシニア高原に伝わる「羊飼いの少年カルディの伝説」です。
エチオピアのアビシニア高原というのは、下記の地図の場所。
この地で、山羊の放牧をしていたカルディという少年は、ある日、山羊たちが元気いっぱい、興奮気味になっている姿を目にします。
いったいどうしたのだろうと観察していると、山羊たちは赤い実を食べていて、どうやら興奮している原因はその実にありそうだということがわかります。
カルディは、自分でもその実を口に入れてみます。
すると、山羊たちどうよう、元気がみなぎってきたのです。
通りがかりのエチオピアの寺院の僧侶が、その不思議な効能をたまたま目にしました。
僧侶たちは、毎日、厳しい修行のため、疲れと眠気とのたたかいに苦しんでいました。
そんな時に、この赤い実の不思議な力を目の当たりにして、さっそく試しました。
赤い実をゆでて飲んだところ、ほんとうに眠気が吹き飛び、つらい修行にも耐えることができるようになりました。それ以来、僧侶たちの間に、このありがたい赤い実が広がっていったということです。赤い実というのは、もちろんコーヒーの実のことです。
シークオマールの伝説(イエメン)
もっとも有名な伝説に、13世紀イエメン共和国モカにおける「シークオマールの伝説」というものがあります。
イエメンのモカは、地図で見ると下記のとおり。
イエメンの「モカ」の地は、エチオピアの対岸にありますね。
この地で、伝説の人「シーク・オマール」は、王様に街から追放されてしまいます。
その理由は、王様の娘に身分違いの恋をしてしまったからでした。
王様の娘はそのころの流行り病に病んでいました。
シーク・オマールは当時の聖職者で、祈祷により人々の病気の癒しをしていました。
当時は、病気治療の主たる方法は祈祷だったのですね。
王様の娘の病も祈祷により癒したシーク・オマールでしたが、
たいへん美しい王様の娘に恋をしてしまいました。
身分違いの恋が実るはずもなく、シークオマールは王様の怒りをかって、
オウサブという山の中に追放されてしまったのです。
山の中では食料も乏しく、飢えにあえいでいました。
そんなとき、シーク・オマールは赤い実をつけた木の枝を小鳥がくわえているのを発見しました。
お腹がすいたシーク・オマールは、その赤い実でスープを作って飲んでみました。
すると、うそのように疲れが吹き飛び、爽快な気分になったのです。
そこで、この実を街に持ち帰り、人々の役に立てることができたと伝えられています。
この赤い実のスープというのは、コーヒーを煮たものだったのです。
ザブハーニーの伝説(イエメン)
さて、3つ目のコーヒー起源の伝説は、15世紀のアデンにおける「ザブハーニーの伝説」です。
ザブハーニ―(ゲマレディン)は、熱心なイスラム立法学者でした。
アデンは、イエメンの首都です。
ザブハーニーは、1454年にエチオピアのアビシニアに旅行をしたことがあります。
その際、コーヒーの効能のことを聞いていました。
帰国後、多忙さから体調を崩したザブハーニーは、アビシニアコーヒーのことを思い出します。
「もしかしたら、自分の疲労にも効くのではないか。」
そこで、アビシニアからコーヒーを取り寄せて飲んでみました。
疲労感は払しょくされて元気を取り戻すことができました。
しかも、眠気を追い払う効果が顕著に認められました。
ザブハーニ―は、さっそく托鉢修道僧にコーヒーをすすめました。その他、夜遅くまで起きていたい人たちの間に、コーヒーはどんどん広がっていきました。
コーヒーの覚醒効果が珍重されたためです。
コーヒー起源の時期と国は?
こうした伝説からうかがえることは、
コーヒーの起源はアフリカに自生していたコーヒーノキの効能がエチオピアで知られるようになり、飲まれるようになった。
それが、イスラム教徒の間に伝わっていき、アラブ諸国から、世界に広がった。
と言えそうです。
さらに詳しくは、次のページに譲ります。